渾身猫パンチ

書きたいときだけ息を吹き返す間欠泉

大河ドラマ「真田丸」第10回「妙手」

  • 兄の武器は一歩も引かぬ意志、弟のそれは相手の信条に寄り添って語る機転。それぞれを手に徳川・上杉と渡り合い、頼もしくも一人前の道を歩みはじめる回となった。後ろに控える父はあくまで囲碁盤に向かい局面を通して大局を語る、なんて、まるで中国の仙人みたいでかっけーじゃないの! 負けそうな盤面ぐじゃぐじゃにしたあたりはただのいつもの父上だったけど!
  • 家康に会おうと昌幸が言うとこから、名代として口上を述べる信幸の間にはなんにもシーンが挟まってないんだが、それが当主と嫡男の確立された関係を表すようでたいへんわくわくしますね。父上がわけのわからん思考の飛躍さえしなければ、こんなにも頼もしく名代を務められる少年(…)なのだ信幸は! 控えの間で魂抜けてるのまで含めてすばらしかったです。
  • 対置されるのが、明示的に「やってみろ」とチャンスを与えられる次男坊。チャンスをものにし、愛する女性と家庭を作る自信をつける。現代だったら若くても19か20にはなってないと訪れないイベントだと思うので、まあ子役で描ける話ではないといえばないのでした。なにしろ展開はこんなにめまぐるしいのに、実は第1回から1年たってなかったりするし!
  • しかし個人的な印象を言うと、信繁と梅ちゃんてあんまし恋人どうしに見えないな。夫婦のほうがまだ似つかわしい、っていうのは、雰囲気がすごく似ているからかもしれない。恋に付随する、異質なものへのときめきみたいな空気を感じないんですよね。
  • そういう意味では、異質なもののポテンシャルという意味では非常に恋への期待を感じさせるきりさんですが、うん・・・とりあえず「人質にされる妻」の顔に自分をはめ込み合成するのやめてから喋ろうか。
  • 今回、当主に目通りする前に刀を預けるであるとか、やらせいくさの段取りであるとか、手順の細かさが緊張感につながる描き方がとても好もしかった。儀礼というとつい眠たくなるものってイメージを持つけど、それは平和な世界に慣れきってるから思うことで、ほんとは儀礼って緊張をはらんだ関係を破局に追い込まないためにあるんだよなーと。本来殺し合いになって当たり前の者と者とが、約束した手順をひとつひとつ守ることで、「いま。この瞬間はこいつは信用できる」と積み重ねていくのが儀礼なのだ。
  • それで今回、手順を積み重ねて「とりあえずここからここまでは信用したぞ」と示した直江兼続さんが戦国の標準的な態度であるとするならば、そのひとつ前の段階で「手順を始めてもよろしい」と許した上杉景勝さんの、いわば信用前払いはたぶん戦国的にはイレギュラーであり。でも決して、騙されやすいお人よしの判断なんかではないと思うのだった。
  • 信繁の言葉に心が動いた瞬間、景勝さん指で顔を掻くんだよな。あれで、この人は単に人の情に流されるのではなく、人の情に「投資するのが好き」で、それが好きな自分のこともよくわかってるんだ、と感じた。人情家というよりはギャンブラー、どっちにしても直江さんが苦労することに変わりはないかもしれないが。
  • 信繁は信繁で、「武士の誇りを守りたい」って一見、景勝好みのストーリーを仕立てて乗せてるように思えるけど、決して本心から遠いことを言ってるわけじゃない。実情と違うことはそんなに言ってなくて、ただ相手の心に確実に届かせるために表現を練っている。そこが父の「策」と違うところなのかなと思えてきた。異なる武器で戦った兄弟だけど、心にもないことを言わない点では共通しているのね。
  • (あと信繁、とくに景勝さんに嘘は言いたくないように見える。春日事件で言葉を交わして以来好感持ってるんじゃないかなー)
  • 殺し合って当たり前の者のあいだに、そんなふうに細いけど確かな信頼の糸が張られる。たまに。こういうドラマが見たかったんだ。